昭和51年08月16日 朝の御理解
御理解 第68節
「神参りをするに雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ。その辛抱こそ身に徳を受ける修行じゃ、如何に有り難そうに心経やお祓をあげても心に真がなければ神に嘘を云うも同然じゃ、拍手も無理に大きな音をさせには及ばぬ、小さい音でも神には聞こえる、拝むにも大声をしたり節を付けたりせぬでも人にものを云う通りに拝め。」
昨夜は前夜祭に続いて富久信会が御座いました。私が寝たのが一時でしたから十二時過ぎておったでしょう。熱心に研修されました。昨日は宮崎の網さんという方の信心を受けて居るおかげがどうして網さんのあの信心から、そういう素晴らしいおかげが生まれるか、どうしてそういうおかげが頂けるか、という事の研修に尽きました。丁度去年の暮れ、もう年の瀬も迫った十二月二十四、五日頃だったと思います。夫婦で合楽の事を聞かれて見えられて、愈々完全に手を上げるより他にない。
いわゆる倒産という寸前、それも私夕べ聞かせて頂いた訳ですけど、ここにお参りなさる時には家を出る時には一万円しかない、その一万円を持って夫婦でお参りをされたと言う事です。その網さんがおかげを頂いて倒産を万事万端その辺のお繰り合わせ頂いて、その難局を切り抜けられた。それから丁度八ヶ月余りに成りますが、八ヶ月の間に受けた主ないうならば本当じゃあるじゃろうかと、嘘みたいな話を末永先生がその手紙の内容を全部お取り次ぎを頂いて、おかげを頂いてのお礼を中心にしてで御座いました。
私は何時の場合でも余りに細々とお礼がしてあるから、私の頭がこんな風ですからこんがらがって分からんのです。それで三回とも末永先生に読んで貰って、大体こう言う事を言うて来ておられます、こう言う事を願っておられます、と言う事を聞くのです。ですから、末永先生が一番その事に当たっておられますから、末永先生がずっと細かに皆さんに聞いて貰って、そしてこういうおかげがどうしたら頂けるかと、どこから網さんのそういう信心から生まれるかと、私もまあ云うならそうですね。
此処にお参りになって十回位の事でしょうし、ここにお参りになったら二人ともはぁっと言うて頭があがらん。 ですから網さんその人の人柄とか、人間というものをよく話を機会がありませんから、だからむしろあちらへ下がって西岡先生とか、末永先生あたりに細々と話された事を聞いて居るのは末永先生であり、西岡先生です。だから昨日は末永先生、西岡先生が網さんの人柄をこういう人柄だと、だから真似の出来ん様なものを、まあ一寸いうなら久留米の佐田さん、大和さんを一つにした様な。
そしてもう一つ素朴にした様な、成る程こういうタイプの人なら、神様が無条件でおかげを下さる様な感じの人だと言う事でした。だからそうゆう人柄というのはです、教祖様の御信心を私共が真似の出来ぬ様な、そういう真似の出来ぬものを持ってあるけれども、まあおかげを頂いていく。こういう状態になったら、おかげを頂ける状態を追っての研修でした。もう惟は正月過ぎの事だったでしょう。
二百数十万の税金の為に差し押さえをされるより仕方がない所まで、一番最後の今日までがギリギリの日と言う日に税務署に掛け合いに行かれた。で、その事情を聞かれて税務署の方も、それこそ真実、表に現してのお話ですから税務暑の方も非常に同情されて、こりゃ本当に網さん気の毒だけれど、実はこれはもう少し早ければね、この様な提出する用紙があって、こういう風にして出したら是はもう免税になるとです。時間がもう何時間しかないとじゃけん仕方ないですねという話であった。
そこにですね鞄をさげた人が一人やって来て、何とか云う弁護士さんだったそうです。その話を横で聞いとってその用紙なら私が一枚もっとりますよと言うて鞄の中から出してやんなさった。税務署の方も喜んでですね、それだけ同情してあるとですたい、それで税務署の方がちゃんと手続きをとって下さって、その二百数十万が免税になった、という嘘の様なはなしです。
二度目の話は大きな取引をする所に、お金がどうしても四百万円のおかねがいる。もう宮崎中の銀行はもう殆ど借りる処はない、当たっては見たけれど何処だって貸してくれる所はなかった。後に残ったのが何々信用金庫と何々銀行と二つあるだけだからどうさせて頂こうかという電話であった。私が何々信用金庫に○を付けてやって、それに対する末永先生が返事を出してやった。そして銀行に参りまして支店長に面会を求めて、実は合楽のもう始めから、のっけにですね。
合楽の金光様の御信心をいつも頂く者ですが、あちらの先生からこういう御神意書が只今で手紙で参りました。と言うて一番始めに見て下さいと言うて差し出したという事です。向こうの支店長も支店長なら出す方も出すほうですけれども、支店長がそれを受ける気持ちになっとった、と言う事ですよ。それは網さんとは全然面識のない方ですけどね、実はね、合楽の神様ちゃ大した神様でしょうと言われた。実は此処で電算機が止まって使えん様になっとった。
それがあんたが見えるのと此の電算機が動くのとが一緒だった。大した神様ですね、と言うて全面的に何も云わずに聞かれた。そしてどうぞ銀行は預かるだけではない。貸す事が主ですからどうぞ使って下さい。どうぞこれを生かして使うて下さい、と言うて私のほうの銀行を指名して頂いた。合楽の金光様には銀行としてもお供えしたいから、あなたが今度合楽にお参りになる時には、どうぞ通知して下さいというて、この前のお参りの時には銀行からのお初穂をことづかってみえとった。
おかげで大きな所へその四百万で納める時の契約が出来て、何にかにスムーズに行った。それから今度の、これは大変込み入っとりますからね、魚の問屋をしておられますから魚屋の市場の株を持って居られた。それを金策の事もあるし譲ってくれと言う人もあるがどうしたらよいでしょうかと、電話でお届けがありました。それは成り行に任せなさい、ところがその成り行というのが、どうでも分けて下さいと言う子とだったから分けます。分ければそこに金も使える、出来る訳ですから、それで売られました。
そしてその後に於いてまあ色々変動がありまして、その魚市場と宮崎市の食料品の市場が合併する事になった。まあ色々な話がありますが、合併する為にはどうしても魚市場の網さんの株がなからなければ合併が出来ないと言う事であった。だから魚市場の常務の方から話があって、網さんあの株を買い戻してくれという事であった。電話がすぐ掛かってまいりました。向こうも必要だったから買いなさったのが、買い戻してくれと言うて、売りなさる筈がないのに。
もう昨日末永先生の手紙を読みながらの発表でしたが先方も喜んで分けて下さった。その常務の喜ばれる事はもう大変な事でした。そして惟からのあんたのいろんな面倒も見させて貰うという条件で、然も株の値段を十二倍で買い取られた。これも正式でなくて市場の外の金から回された。だから是は銀行に持って行かれるでも、あなたの名前ではいかんから、なにか架空の名にして下さいという余分の金だけが二百七十数万円でした。そして今度はお金をその四百万円借りた信用金庫に持っていった。
話された支店長も網さんの得意まんめんといいますかほんとうに有り難い素晴らしい心地じゃったろうと思います。また支店長の方としてもです、あの時あんまりかんたんに貸してから、ちいた不安にあったじゃろうかと、そこえもってきて、四百万貸しとるとに三百何十万という金を定期預金をこんな話ですからと言うて持って行かれたものですから、とにかく支店長も大変喜ばれ、何から彼まで支店長が一切して下さって架空の定期預金のそれを作ってくれた。
そしてその支店長と話して実はこういう訳ですからこれは何と言うても合楽の親先生に使うて貰うのが一番好いと思うから、そんならこのまま送りなさい、と言う事で通帳と判子を送って来た。丁度その時合楽でも三百万円の金がどうでも必要であった。それで私がそれを一応使わせて頂いて、すぐその通帳は送り返した。と言うた様な顛末を微に入り細に渉って手紙を読みながらですから。
その合楽に入信された動機が、去年の暮れのそう言うせっぱ詰まった所から、次々と税金の問題、商売上のお繰り合わせ、金策のお繰り合わせ、もうどんなに考えても、なら昨日富久信会では殆ど商売人の方ばっかりです。然も不思議な事に調子の良ういっとる人は富久信会にはかたらんから不思議ですね。まあどうやらこうやら手形でん何でん段々スムーズにお願いして落ちていきよる人達は富久信会にはかたらんです。不思議なこちゃ、人間とはそんなもんです。
だから一寸調子が良くなるともう信心は致しません。だからいつも富久信会で言うのは、只今修行中という商売人の人達が殆どです。ですから是から手がでる様なです、喉から手がでる様なお話なんです。涎の流れる様なお話です。だがなら網さんがこういうおかげを頂いとるのに、どうして私共がおかげを受けられんのかと言う事に、焦点を置いて昨日研修さして頂いたんです。研修すればする程にです、例えて言うなら真似の出来ぬものがあるのですけど、皆さんが色々おかげを受けられる元は。
と、言う事を申しましたが、最後に私が申しましたけれどもね、網さんの場合はどの手紙を見てもです、合楽の金光様がなければ今日の私はないという実感なんです。とにかく合楽に一番始め夫婦でお参りになった時一万円しかなかった。その中から旅費を出した、お初穂をだした、もう持って帰る金はないと言ったような状態の中から、心配いらんですよ神様にお願いして行けばおかげを頂きますよ、と言う。
その一言を頼りに帰られた。そこからですから何もない所から合楽の金光様がなければ今日の私はないのだという、それはどれだけ沢山の金が在っても、物があってもです、信心が分かるならば、神様のおかげを頂かねば立ち行かんのだ、と言う実感が本当なものであるというのです。次にはね親先生の言葉を、即神様のお言葉として、言うなれば信じ切って受けて居られると言う事です。
どの手紙を見ましてもね合楽教会の親神様と言うて、手紙が来るです始めの間は天地の親神様の事を言うておられると思うておったけど。末永先生が親先生これはあなたの事です、と言う手紙の文章を見てもそうです。親神様こうこうですと呼びかけられる具合が、だから親神様としての働きがです、そこに表れて居るんだと言うような話をして、最後に秋永先生にあんたが何か一言話して下さいと言う事で御座いました。
だから結局お話を頂いておってです、その網さんの様な心の状態には誰もが出来るものではないと言う事、けれども先生これはあなたが亡くなられた、あなたが死になさったらこういうおかげは表れないだろうと言う事です。だから先生おかげを頂きなさっても、親先生あなたが居んなさる間だというのです。それでなら日頃私が頂いておる、もう繰り返し繰り返し、先生あなたが言われる処の天地日月の心に成る事肝要だ、成りゆきをいよいよ尊ばせて頂くんだ。
全ての事に御の字を付けて頂くんだと、この信心を身に付けるという事が、なら網さんの場合は出来ておる筈はない。合楽に来る様になってから八ヶ月、それも月に一回か二回ようやくお参り出来るだけです。只おかげを受けておるだけだから、それは言うならば信心と云う基礎土台と言うものがなしに頂いておる奇跡的なおかげですから、これは今の場合でもそうです。病気なんかでも無い命を助かった。それは大変頂いておる時は有り難いけれども、それが段々薄らいで来る。
然もそう言う奇跡的なおかげというのは、なら私なら私がおる間は表れようけれども、二代なり三代になったらでけない。何と言うても合楽の信心の真であるところの、いよいよ天地日月の心を心としておかなければならない、成り行を大事にしなければならない、一切の事に御の字を付けて行かねばならない。そこでなら合楽で二十年、三十年と信心の稽古をした人が、もう既にですそう言う信心が出来て網さんの様な心になっとらん事は不思議ねという事です。
何十年間親先生のお取り次ぎを頂いて、もし親先生なかりせば今日の私一家はなかったと、例えばそういう実感がない、そして親先生はあげん云いなさるばってんと言うて右左にしよる事がある。昨日私が申しました事ですけどもお伺いをしたり、お願いをしてそれを実行しないくらい神様に対し相済まん事はない。そこんところがです、網さんの場合はもうそうする以外仕方がないからであろうけれどもそれを実行してある。
とてもどの面さげて銀行に行くか、行かれる筈がないと言った様な事でなくて、正面切って堂々と金光様を前に立てての銀行行きですよね。そしてなら親先生の頂き方というのは、もう即神様として頂いておられる。だから理屈の上では分かっとるその理屈がです、何十年信心させて頂いとる間に、どうしてこれが自分の身に付かないか、天地日月の心になるとか、成り行を大切にするとか、全ての事に御の字を付けて行く事をもし身に付けておるなら、このくらいの事はもっとスンナリ身についとらなければいけない。
結局信心が不精進である事に結論したんです。夕べそういう話し合いをしました。そこで今日頂きます六十八節。神参りをするに雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ、私共の様々な中には雨も降ろう風も吹く事もあろうけれども、それを言うなら成りゆきとして天地日月の心で受ける気になる。今日のここん所ですよね。雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならん。その辛抱こそ身に徳を受ける修行じゃ。
だからそう言う意味に於いての修行が出来とるなら今頃は徳を受けて、いうなら網さんが頂いとられるよりか、もっとスムーズな云うならば、銀行には借りにいかんでも済むような、税金を払わんで済むような、じゃなくてもう税金はそれこそ最高に払いが出来れる、銀行は何処へ行ってもそれこそ借りて下さいといわれる様なものが出来とらねばいかんではないか、なぜ出来とらなかったか。
私の言う事を右左にしとるからだ。徹底して天地日月の心になる事に云うならば徹底してないからだ。自分の都合の良か事は受け取るけど、都合の悪か事は向こうに押しやって来ておるから、何時までも身に徳が着かない所にそういうおかげになって来ないんだと言う事になるでしょうが。次の処は有り難そうに心経やお祓を上げても合楽の信心すべてを言うならば、それこそ有り難そうにと言う事を皆さんが覚えとると言う事です。知っておると言う事では駄目だと言う事です。
それを実行しないならば神様に嘘を云う様なものだと、無理に大きな音をさせるには及ばぬ、小さい音でも神には聞こえる。拝むにも大声を出したり節を付けたりせんでも、人に物言う通りに拝め、云うなら実意丁寧そのままに、もう本当に素朴に、云うなら本当に馬鹿の様な心で神様に願えば良いのである。要領も要らなければ良い言葉もいらん、祝詞言葉でなからねばいかんと言う事ではない、人にものを云う通りにと、いうのがです、いうなら佐田さんと大和さんを一つにしたような感じの人だ。
それをもっちと、もっと素朴にした様なと言うところが一番最後の処にあたるのじゃないでしょうか。この六十八節をです、なら改めて頂いてみて、私共が折角信心させて頂くのだから、何か一つ徹して行く生き方が、昨日石井喜代司さんが来ておられたが、石井喜代司さんなら石井喜代司さんが腹を立てんと云うならば、もう立てちゃ馬鹿らしかと云う、それがおかげを頂いて出来た。
今月の壮年部会には私は不平不足は言うまいと言う事を壮年部会の時に皆の前で宣言した。それに徹すると言う所に喜代司さんが頂いとられる様な鮮やかなおかげを頂く事が出来る、それは合楽の信心の一部である。だからそう言う様な私は徹して頂いていくと言う所からです、成る程腹を立てんと言う事は素晴らしい事だ、不平不足を言わんと言う事はこういう素晴らしい事だと是から又体験して行く事でありましょうようにです、その教えに本気で取り組んでいない。
合楽のお話は言うならば十年一日の如しと言えば成る程そうです。この頃から外の教会の学院生の方達が此処へ参りまして帰るときにです、研修をするときにその日その日の素晴らしい、その日の研修をまとめとります。だからあんたは今日の御理解をそのくらいに纏めたら、もう明日帰って良いよ、と合楽の信心はこれに尽きるんだからと毎日申しました。だから合楽の信心はですもう結局煎じ詰めて頂きよりますとです、あらゆる角度からあらゆる話題をもって説いてありますけど。
煎じ詰めると一日の御理解をマスターする、自分のものにしたら、もう合楽の信心はそれだけだと言うくらいに。毎日同じ事が繰り返されとる訳です。それを秋永先生が言われる様に天地日月の心になる事肝要であるとか、成り行を大切にするとか、全ての事に御の字を付けていくと云う生き方に徹する以外にはないのぞ。そう言う信心の土台が出来て、次のシャープなおかげを頂く様になったら。
是は親先生が亡くなられてもです、是を子々孫々に残していけれる。 先生がおんなされんでも、どなたのお取り次ぎを頂いても、おかげが受けられる。結局はだから網さんの信心に、合楽の信心がピッタリ寄り添うた時に、本当のおかげになるんだと言う事で御座いました。だから一つ本気でね成り行を大切にさせて貰う、全ての事に御の字をつけてとか、そこの処が雨の時も風の時もある。
あろうけれどもそれを受ける辛抱こそが、身に徳を受ける修行だと云われるのですから、その徳を受けて次の鮮やかなおかげを頂いて、昨夜前夜祭の時に、皆さんに聞いて頂いた様に、うちわのおかげではなくて末広のおかげ、それこそもうどんなに信心のない人でもです、分かる様な信心と、分かる様なおかげを携えての合楽示現活動でなければならんと言う事で御座いますね。
どうぞ。